第132震洋特別攻撃隊

一昨年の12月に亡くなった父の供養で、四国の土佐清水へ家族と行ってきた。インドに赴任している、長女の都合で今回行くことになった。父、二階堂悌二朗は、昭和2年生まれ。昭和19年に海軍の予科練に入るが、もう負け戦で乗る飛行機がない。250kg爆弾を搭載した『震洋艇』の第132震洋特別攻撃隊となり、ここ、土佐清水で出撃を待っていた。

8月15日に終戦になり、命を拾ったといつも言っていた。記念碑には、父の名前もある。

土佐清水の港には、今も15個の洞窟があり、ここに『震洋艇』が隠されていた。昼間は、米軍のグラマンF6Aの攻撃を受けることがあるので、訓練は夜だったそうだ。

父の遺言で、この土佐清水の梅、それも『震洋艇』の訓練海域に、散骨しました。海にお花とお酒を流して帰ってきました。これで父の遺言を果たすことことができて感無量でした。生前、父と交流のあった方々のお世話になりました。ありがたいことです。


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