稲盛塾長に献杯

8月30日稲盛和夫氏が亡くなられてニュースを見た数時間後に、札幌の河上さんが来た。同じ盛和塾の塾生だった人である。稲盛塾長の亡くなった日に、同じ元塾生と献杯できるとは奇遇だった。過去の塾長例会での話を2時間語り合う。実は、この日の午前中に電子書籍『英語 1000時間のヒアリングで必ず話せる』というを完成させた。校了である。それを、電子書籍へ変換する会社に依頼した。これで、私の手から本が離れた日だったのだ。4万文字の短い本だが、本を集めだしたのが1994年くらいからなので、構想からは28年たっている。執筆を開始したのは、2021年の12月なので8か月かかった。書き上げると、やはり、気が抜ける。ほっとした感じだ。司馬遼太郎さんは、『心の中が、荒涼とした感じになる』と書いているのを読んだことがあるが、よく理解できる。心に空洞ができる感じだ。
河上さんが、『経営の原点12条を踏まえて、ジムニーフィロソフィーを書いたらどうですか?』と提案してくれた。彼は、楡印刷という印刷会社を経営しているので、本に対する自分の独自の考えを持っている。彼が『ジムニー大全』『ジムニー百科事典』という言葉で、新しい本の企画を7年間に提案してくれたことがある。それを、ヒントに書いたのが『ジムニー物語』だ。全部で5巻も出してしまった。彼と厚木で飲んでいないと、『ジムニー物語』は、世に出ていない。『ジムニー物語』は、売れないと思って書いた本なのだが、鈴木修さんのお買い上げとなり、スズキ本社の各部署と図書館、スズキの全販売店に配布された。私の人生での大きなターニングポイントになった本である。
稲盛塾長を思い、河上さんと二人で献杯する。塾長、感謝、ありがとうございました。
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ジプシーの重さをはかるも
稲盛和夫氏が逝去
本日、稲盛和夫氏が逝去されたニュースを見た。90歳、老衰だという。私にとっては稲盛さんは、稲盛塾長で、なんとも悲しいし、感慨深い。稲盛塾長にあっていないと今の自分はない。会社も倒産し社員を路頭に迷わせたと思う。経営の師であり、人生の師であった。京都で行われるお別れの会には、必ず行くつもりだ。塾長ありがとうございました。合掌。
焼き豚丼
自宅で執筆作業『段取り八割

今日は原稿の執筆とまとめのため、朝8時からパソコンに向かう。近日中に出版予定の電子書籍、題名は『英語 人生を変えた1000時間ヒアリング』 という本の、最終段階にきているので、それの加筆と修正作業だ。集中すると3時間くらいはあっという間に経過する。
頭が疲れたので本の整理をする。私は、これを本棚の編集作業と呼んでいる。本を書くのには、必要な本を集めるが、本がそろえば書くのは易しい。仕事は、『段取り八割』と思う。社員にもよく言っている。本を書く時、取材や撮影も大切なことだが、参考文献の量と質が、書く本の内容を決める。
こうした作業は孤独でつらいこともあるが、今日は娘の犬を預かっているので、その犬が私の行動を観察しているので、見られている感じで、少しこちらも緊張する気分。孤独な作業では、犬や猫は、いいなと久しぶりで感じた。ちなみに、私の著書『スズキジムニーの20年の歴史』や『オフローディングハンドブック』の2冊は、インドネシアのジャカルタで執筆したのだが、机の上にはいつも黒猫がいてくれた。犬もいたが、猫のように近くに来てくれなった。この2冊により、自分の人生が変わっていった。そのことを思い出すとき、黒猫のクロを思いだす。今度の本では、トイプードルのレオンがいたので、この犬を思い出すのか?と思い、感慨深いものがある。

HMSー20mmアップスプリングの走行テスト

JB64・74用のHMSー20mmアップスプリングの2次試作ができたので走行テストする。色はシルバーである。装着してみると、地上からフェンダー下までの高さは、FR(フロント右)の高さが83.7mm、FL(フロント左)が83.0mm、RL(リヤ左)が83.6mm、RR(リヤ右)が84.2mmといった感じ。目視では高さのばらつきはわからない程度の差である。ジムニーJB23の時代から、新車でも右側が10mくらい低い車がある。自動車メーカーでもばらつきは10mmくらいあるようだ。
厚木市内を走行テスト。大変いい感じである。車高が20mmあがったが、ローリングやピッチングは悪化しておらず、中高速でも安定して走行ができる。しかし、目線で20mmアップは十分感じることができる。真横から見るとそれは一目瞭然だし、乗り込むと、ボンネットが、少し上がった感じがする。
このHMSコイルは、SACC(サイドアクションコイルススプリング中発)といって、バネメーカー中発の特許製法で作られるコイルスプリングだ。線形が左右対称でないコイルスプリングで、他に比類するものがない。通常の製法でつくられたものとは、一味違うのだ。乗り心地がいいの加えて、腰に粘りがある感じなのだ。コーナーリングなどで沈み込んでいくときに、リニアに傾いていくのではなく、途中から傾き、沈み込みが止まる感じなのだ。コイルが踏ん張りだすといえばわかりやすいかもしれない。高速で、左右にハンドルを切り返したときには、通常のコイルと比較して、車体が振られるのが少ない。オフロードでは、他のコイルと比較して、明らかに路面の追従性がよく、なめるように走行できるという特徴を持つ。メイドインジャパンの底力を感じる中発の製品だ。
このようなコイルを知ると、日本の工業力は、すごいなと思う。中国製の安いジムニーのサスペンションが、広く出回る時代だが、サスペンションの高級と低級の差は、とても大きい。安価なものと、このコイルの差は、天地の差があります。
ジムニーのサスペンションは、3リンクリジットコイルサスペンション、単純な構造ですが、極悪路でも走行できて、壊れない丈夫な構造。しかし、誠に奥深いと思いますJ




JB64・74のリオヤゲート
エスクードTD51の4WD不良

エスクードTD51が四輪駆動にならない。ブロンコに行ったときに、時々42Dから2WDになり、一時、スタックして大変だった。なんとか、だましだまし走破した。4柱リフトにあげて、2WDから4WDにすると、30秒くりらいは4WDなのだが、その頤2WDになる。このモモデルからフリーハブがなくなりフロントデフのトランスファーからのシャフトを連結するデフのところで、切断をおこないフリーハブと同じような働きをする構造となった。そのプロペラシャフトとフロントデフのONーOFF(接と断)は、エンジンルームにあるストラットタワーバーの右側にバキュームポンプが付きそのポンプの圧力でONーOFFを行う。どうも、そのポンプが劣化したのが原因らしい。配管を調べるが、空気漏れもないし、曲がりや、折損もない。そこで、RV4の社員に『バキュームポンプ注文しておいてくれ』と頼むと、8万円くらいする。そこで社員が、『ホースを掃除してみましょうか?』といって、掃除してもらった。具体的には、連結しているホースを外してエアーでブローする、金属との接合部分はホースが劣化しているので2cmほど切断して配管しなおした。テストすると、4WDインジケーターが点灯してトランスファーからの駆動はフロントデフに伝わる。これで、オフロードダイジョブですね。



ジムニースーパースージーの取材
山北町の駅で待ち合わせ
山北町のログハウスで
柴田哲孝氏の本

10年くらい前にAPIOの河野さんから柴田哲孝氏の本『異聞太平洋戦記』を見せてもらった。彼が、元4X4マガジンにいた柴田さんと同じ人だとは、河野さんに教えてもらうまで知らなかった。早速、買い求めて読んで見た。面白い。私も元自衛官だったので戦記にはくわしい方だろうと思う。中学の時に、太平洋戦争を俯瞰してみると、どうもあの戦争はおかしいと思った。特に、山本五十六の検死の記事が月刊誌『丸』に掲載されていて、死亡原因が日本の拳銃によることが書いてあった。戦死ではないのだ。自殺か?誰かによる介錯か?としか思えないのだ。教育航空集団司令部に勤務していた時に、書庫に防衛庁戦史室が編集した『太平洋戦史』50巻があったので、全部読んだ。その中に、真珠湾攻撃のために千島のヒトカップ湾に連合艦隊が集結した記述がある。無線封鎖のため発光信号で連絡を取り合ったが、霧で信号が見えなくて、数隻の船がぶつかったと記録されている。ところが、戦後50年目あたりから、アメリカの機密文書が公開され、日本の連合艦隊が『只今から、ヒトカップ湾をでる』という、電文がだされたことが米軍の情報部に記録されている。これは正式なものだ。事実なのである。これを知ると、日本の記録にはウソが書いていると思われる。こうしたことは、ここ20年で沢山出てきて、太平洋戦争は一体何だったのか?日本と米国で、打合せした上での戦争だったのか?それならどうしてあんなに沢山の人が死ななくてはならなかたのか?といくつも疑問がわいてくる。そのような疑問に、柴田哲孝氏の本は、その歴史のなかに埋もれた事実を示唆してくれている。面白い本だと思う。これからも、頑張ってたくさんの戦記を出してほしい。
ジムニーシートサイドトレイ
新しいシートサイドトレイ
RV4ワイルドグースの店舗に新しいA/Cの取り付け
,2022年7月3日ジムニー50周年キネニベント『JIMNY 50TH』
https://www.youtube.com/watch?v=K-fnNDfgphA
,2022年7月3日ジムニー50周年キネニベント『JIMNY 50TH』 のビデオ映像です。SSC出版で作りました。ジムニーの歴史の1Pを残せたと思います。(二階堂 裕)
,2022年7月3日ジムニー50周年キネニベント『JIMNY 50TH』 のビデオ映像です。SSC出版で作りました。ジムニーの歴史の1Pを残せたと思います。(二階堂 裕)
はじめてのオフロードスクール
ジムニーマンガプロジェクト締め切り迫る
2022年7月は、日本ジムニークラブを作って40年の節目です。よくもこんなに続けたと思います。「ジムニーのマンガ化に向けたクラウドファンディング」を6月17日に立ち上げました。お忙しい中、たくさんの方にプロジェクトをご覧いただき、SNSやメール、電話で貴重なご意見をいただきました。
その中でも、このプロジェクトで実現するのはどんな漫画なのか(支援した人の所有するジムニーが物語化するのか)?これまでもジムニースーパースージー で漫画の連載をしていたこともありましたが、それと何が違うのか?
といったように、具体的にどんな漫画本になるのか、わかりにくいというご指摘も多くいただきました。
実際のところ、漫画の内容はこれから決まってまいります。純粋に、私たちが愛する「ジムニー」という車種に特化した物語になる予定です。そして、このプロジェクトが実現すれば、「世界初」のジムニーに特化した漫画本ができるということになります。出版業界において、あるいは出版以外の分野であったとしても、一ブランドの一車種だけをフィーチャーしたマンガをつくることは世界にも類を見ない試みです。
そのため、“売れるかどうかわからない”、その中で漫画をつくるということ自体がとてもチャレンジングな取り組みとなるため、今回はクラウドファンディングという手法で、ジムニーを愛する皆様の声を集めてプロジェクトを実現させていきたいと考え、クラウドファンディング(※)を立ち上げました。
現在、まだご支援が足りていない状況ですが、実現すれば、世界初です。英語でジムニーを世界に発信できます。残り10日ほど、無謀な挑戦かもしれませんが、なんとか、皆さんと一緒に世界初のジムニーのコミック本の制作を実現するため、ご支援をいただけると嬉しいです。
▼詳細・ご支援はこちらから
URL:https://readyfor.jp/projects/jimny_comic
目標金額:700万円
募集期間:8月15日(月)23時まで
※All-or-Nothing形式でのプロジェクトのため、目標金額に到達した場合のみプロジェクトを実行いたします。達成できなかった場合は、お金は返金します。
応援のほどよろしくお願いいたします。
二階堂 裕
その中でも、このプロジェクトで実現するのはどんな漫画なのか(支援した人の所有するジムニーが物語化するのか)?これまでもジムニースーパースージー で漫画の連載をしていたこともありましたが、それと何が違うのか?
といったように、具体的にどんな漫画本になるのか、わかりにくいというご指摘も多くいただきました。
実際のところ、漫画の内容はこれから決まってまいります。純粋に、私たちが愛する「ジムニー」という車種に特化した物語になる予定です。そして、このプロジェクトが実現すれば、「世界初」のジムニーに特化した漫画本ができるということになります。出版業界において、あるいは出版以外の分野であったとしても、一ブランドの一車種だけをフィーチャーしたマンガをつくることは世界にも類を見ない試みです。
そのため、“売れるかどうかわからない”、その中で漫画をつくるということ自体がとてもチャレンジングな取り組みとなるため、今回はクラウドファンディングという手法で、ジムニーを愛する皆様の声を集めてプロジェクトを実現させていきたいと考え、クラウドファンディング(※)を立ち上げました。
現在、まだご支援が足りていない状況ですが、実現すれば、世界初です。英語でジムニーを世界に発信できます。残り10日ほど、無謀な挑戦かもしれませんが、なんとか、皆さんと一緒に世界初のジムニーのコミック本の制作を実現するため、ご支援をいただけると嬉しいです。
▼詳細・ご支援はこちらから
URL:https://readyfor.jp/projects/jimny_comic
目標金額:700万円
募集期間:8月15日(月)23時まで
※All-or-Nothing形式でのプロジェクトのため、目標金額に到達した場合のみプロジェクトを実行いたします。達成できなかった場合は、お金は返金します。
応援のほどよろしくお願いいたします。
二階堂 裕
旭川市のお酒が届きました
オフロードスクール準備その3

オフロードスクールで使用するJB64グレーに、荷物を固定するためのフックを取り付ける。小さいパーツだが、オフロードではとても大切だ。荷物を固定して、動かないようにするためだ。同時に荷物がオフロードで暴れないし、音も小さくなる。フックは、リヤドアの入り口左右に各1個。フロントシートの後ろでリヤのフェンダーの前端に左右各1個、後部の窓井下の左右にそれぞれに3か所取り付ける。このフックを使いアンカーにするのだ。まずは、車載用の工具袋をと三角停止板を左フェンダーにゴムのネットで固定する。これはオートバイ用のものだ。次に右側には、牽引用品の入ったカバンと折り畳み椅子を固定した。これで、オフロードの最低限の装備は、決められた場所に固定できた。オフロードスクールの車両準備は、70%は整いました。
しかし、装備や、改良改善には、終わりはありません。常に進化していきます。前のJB23ベージュもそうでした。12年間、3ケ月以上同じ状態は、一度もありませんでした。常に変化、進化していくのです。改良改善に終わりはありませんね。



