エジガレージのJB64デモカーを撮影
エジガレージのJB64デモカーを撮影
天竜川河口でJB64の撮影
ジムニースーパースージー125号校了
かぶと湯温泉へいく
新東名を走行中クラッチトラブル

浜松のスズキ株主総会後、エジガレージに立ち寄り、厚木に帰る途中、新東名の富士市あたりでクラッチのトラブルで走行不能となる。クラッチは動く。しかし、エンジンの力が伝達されない。どうやらクラッチのトラブルだろう。JAFをよんで、近くの『カマド自動車』に運んでもらう。修理を依頼して、代車のダイハツミラを借り厚木に帰る。今日は、スズキの株主総会で幸運を1回、浜松餃子の店『福みつ』で1回、エジガレージで1回、一日に3回も幸運を使ったので、新車で1万キロ走行のJB64が壊れるという通常では予想できない不運は、その反動だろうと思えた。人生長いと、ホントにそういうことはおきます。私の場合は、とても分かりやすく、不運と幸運が、交互に来ることを何度も人生で経験しました。
後ろから追突されて事故にでなり、新東名で炎上しなかったことに感謝です。不運も実は幸運の裏返しかも?と思います。



エジガレージへ立ち寄る
浜松餃子を食べる

スズキ(株)株主総会のあと浜松餃子の名店『福みつ』で、昼食。福みつはJCJ本部の袴田さんに教えてもらった店だ。いつもは並んでいて入れないのだが、今日は入れた。ラッキー!?
福みつは見事で、メニューは餃子のみ。単品は10個、15個、20個の3つ。ビールを飲むなら、これがいい。定食は、ご飯と豆腐と揚げのみそ汁に、漬物がついている。それだけ。
浜松に1982年に引っ越してきたときに、定食屋に餃子のみの定食があることに驚いたが、今はもう驚きません。メインディシュで浜松では、餃子はエライ。他のおかずはつかないのです。シンプルに餃子だけなんです。福みつの餃子は、皮が熱くて、一般的な浜松餃子とは少し違い、個性があります。皮が厚いので、冷めにくく、急いで食べると火傷します。餃子、1本、勝負です。ジムニーと共通するものがあるように思います。おいしく頂きました。この世界もシンプルなのに、奥深いです。

スズキ株主総会へ参加修さんへお別れを言う

2021年6月25日スズキの株主総会へ出席し、この総会で引退する鈴木修会長へ、お別れをいうことができました。よかったです。修さんにはSSC出版の発行する『ジムニースーパースージー』、『スズキジムニーの50年の歴史』、『ジムニー物語第一環から第5巻』等、沢山の本を買っていただきました。しかも、いくつもの本の前書きを修さん自身の言葉で書いてもらいました。また、ジムニー物語では本の帯の推薦文まで書いてもらいました。
修さんがいなければジムニーはない、ジムニーが無ければSSC出版もないことになります。ちなみに、ジムニーが無ければ、私もスズキに入社するjことは100%なかった。本当に、人とのつながりや、運命を感じます。ジムニーは自動車であり、生き物でないはずですが、人のような運命はもっていると感じます。また、心もあると思うのです。
修さん、ありがとうございました。
これからもジムニーある限り、ジムニーの本を出し続けます。

J’Sガージへいく
モンスター磐田へ行く
山形のサクランボ
エスクードTD51Wにレカロシートを装着

1997年9月登録のエスクードTD51Wのフロントシートがへたって疲れる。走行30万キロメートルなので仕方がない。中古のレカロシートを買ったのでエスクードに付けようとシートレールを探すが、これが無いのだ。どこも製造中止だ。1年近く探して、エスクードの専門店に聞いたら教えてくれたので、注文して、やっとシートレールが来た。ようやくシートを交換する。さすが専用品で、改造するところはなくボルトオンで取り付けできた。座ってみると、レカロシートは硬くてシャキッとしているし、サイドサポートもあるので、まずは快適なホールド感だ。座面が変わったので、少しローアングルで、前にシートが傾斜した感じ。乗ってみて不具合があれば、フロントのシートレールへスペーサーを入れて角度を変えようと思う。長年の計画が、本日、2年ぶりで実行できました。






レカロシート完成です。

紙をリサイクルへ持っていく
『クワロト』の西風さんが来店です
WARN電動ウインチスクール
清水純さんがSJ20で来社
『ジムニーを得意満面にお乗りまわす本』
『ジムニーを得意満面にお乗りまわす本』
ジムニーを得意満面にお乗りまわす本
JAL第72期株主総会

2021年6月17日JAL第72期株主総会 に参加するために、有明の東京ガーデンシアターへ行く。元盛和塾の内藤さんに逢う。JALは、今期は赤字、来期も赤字だそうだ。ただし2023年からは黒字に転換するという経営内容を聞いた。財務は健全で、さすが稲盛さんの功績の大きさを感じた。悲しいのは、JALが倒産した時に解雇した人が10年後の今も、集まり『不当解雇を撤回せよ』と、会場で騒いでたことだ。ヤジが飛び交った。JALの労働問題は過去にも随分あったが、それは稲盛さんがきて解消した、病理は治ったと思ったが、過去を引きずっている。一日も早く、彼らが前向きな人生を送ることを祈りたい。JALの経営内容は、自分の会社の経営にも役にたった。世の中の未来も教えてもらった。経営者であれば、株主総会はよい勉強の機会だと思います。


4×4パワーズの島田さんグループと山で逢う
ダブルミッションのジムニー

石塚エンジニアリングの最新作のダブルミッションの車両へ試乗させてもらいました。MTだけど、ATのように走る。アクセルではなく、クラッチを繋ぎながら走るというテクニックが必要だ。アクセルを踏むと、ドライブシャフトが折れるので、足はアクセルにのせておく程度。リジットアクスルに4リンクのアームはとてつもなく長くて、車両の中央部が支点である。後ろのリジットアクスルは、車体が傾くとウインチで引き上げて、傾斜を少なくできる構造。初めて使った。4輪ステアなので、後輪もタイヤの角度を変えられる。操作は、左手で航空機のスティックの用にレバーを左右に動かすことで、タイヤの角度を任意に変えられる。蟹のように、平行にも移動できるというすごいシステム。慣れないととても操縦できない。小さな岩を乗り越えるのが、私の操縦技術の限界でした。このダブルミッションの車両、ギヤもすごいが、サスペンションの動きとストロークの長さと4輪操舵もすごいです。日本にも、このような車両がでてくる時代になりました。ちょっと感激しました。


ダブルミッションのジムニー

石塚エンジニアリングのダブルミッションのジムニーの走行会に同行する。長大なサスペンションストロークを持つコイルリジットの4リンク式サスペンションは、前後ともデフロックが入り、ダブルミッションを搭載しているので、極低速での走行が可能だ。後輪も油圧でステアするので四輪操舵である。しかも後輪は、任意に左右に舵を取ることができるので、余程なれないとその車両の操縦は難しい。航空機でいうと、ヘリコプターと固定翼の飛行機くらい違うかなと思う。建設機械なら、ユンボとブルドーザーの違いかなと思う。日本にもアメリカのような、岩を乗り越えていくすごい遊びがあります。機動性能を高めていくと、自動車からウニモグのような機械の範疇に入っていきます。


『ジムニーを得意満目に乗りまわす本』6月17日全国書店で発売

『ジムニーを得意満目に乗りまわす本』が2021年6月17日に全国書店で発売されます。この本は、1983年4月1日に発売された『スズキジムニーを得意満面に乗りまわす本』山海堂のリメイク版です。1983年当時は、1981年に新型ジムニーSJ30が発売され、一世風靡していた時代。JCJ(日本ジムニークラブ)ができたのが1982年で、それはSJ30の登場したインパクトからである。まさか、1983年に自分が書いた本を、38年後の今、リメイクとはいえ、再び執筆するとは思わなかった。
この本を書こうと思ったのは、故石川雄一さんの遺品で四駆の本を大量に貰ったことが原因である。そのなかに、『スズキジムニーを得意満面に乗りまわす本』の昭和63年のものがあり、それが20刷りだったのだ。つまり、20回も増刷されている。初版は38000部だったので、その後も販売は継続していたので、この本はものすごく売れたことが分かったのだ。
私は、この本を1982年の10月に、スズキ広報部からの依頼で執筆をした。私の上司である輸出サービス部4輪サービス課の大山課長から呼ばれて、『二階堂君、広報部から依頼がきているので、ジムニー本の原稿を書いてくれ。会社にいる勤務時間中に書いてはいけないが、許可がでているので原稿料は、出版社からもらっていい』といわれて、書いたものだ。この当時は、私は原稿を書くスピードが遅くて、この本の60Pくらいを担当したのだが、原稿が完成したのは1983年の1月だった。正直、指定されて書いた原稿なので、私の意志はあまり入っていない原稿で、大した内容ではない、誰でも書けるだろうと思っていた。しかし、それが売れてしまったことが、つい最近になってわかったのだ。理由は、原稿が買い取りなので、印税は貰っていない。何冊売れたかは、不明だったからだ。もし、50万部売れたとすると、印税1冊100円なら5000万円となる。ベストセラーになると、本はいいものである。私のこのときの原稿料は、60Pで30万円だったので、1P5000円の原稿料でした。1冊の本なのですが、JCJのスタートに相応しいものだったし、その後の人生に大きな影響を与えた本だった。ちなみに6月17日は、私の67歳の誕生日、記念すべき本になります。
この本の帯は光栄なことに、パリダカの鉄人、ギネス記録を持つ日本レーシングマネージメントの菅原義正さんに推薦文を書いてもらいました。菅原さんは、80歳でこれからパリダカエコレースに、ジムニーで参戦します。本当の鉄人です。人生の私の目標の方です。