LJ10-1型
JA12Cの整備

スズキに入稿するジムニー50周年関連の原稿を書いていたら、疲れて目がかすむ。こういうときは、ジムニーをいじるのが気分転換にいい。久しぶりでJA12Cを動かすとなんと、エンジンルームからギュー、キュルキュルという異音が出る。エンジンルームを、点検するとVベルトが緩い。オルタネーターの固定ボルトを緩めて、大型のマイナスドライバーで、Vベルトのテンションを張り、ボルトを締めて、再度固定する。古い車なので、あまり強く張らず、少し遊びがあるところでやめておく。エンジンを回してみましたが、ベルトの滑りは無くなったようです。これで、一安心でジムニーに乗れます。古いジムニーを、沢山所有していると、次から次に、対策することがでてきて、暇なときはありません。手のかかる子供のような感じですか?でも、ジムニーがあると、ボケないと思うのです。ジムニーが無くなると、だから、大変です。しかし、目が悪くなると、部品やボルトがよく見えなくて、特に暗いと全然見えなくて困ります。ジムニーも人間も、加齢が進むと色々と大変ですが、何も趣味がない人と比べると、ジムニーがあって本当に楽しいと思います。ジムニー旧車生活、楽しいですよ。このJA12Cは、私には新しい印象なんですが、1996年の登録ですから、すでに車歴24年、来年で25年、1/4世紀が経過します。



LJ10のJIMNYエンブレム復刻版
ジムニー切手
オフロード走行後の洗車
天竜川で水中走行
天竜川でオフロード走行
連劉川で走行&撮影
ソーイングミクラを訪問
JCJ岐阜支部の発足会
ハイリフトジャッキの固定JB23/43用

オフロードレスキューツールの中で、最強のツールは、ハイリフトジャッキである。ウインチがあっても、場所によっては脱出できない時がある。アンカーが無ければ、ウインチはただの重りである。しかし、ハイリフトジャッキがあれば、時間はかかるが、水平面なら99%脱出できるだろう。ウインチとハイリフトジャッキがあれば、鬼に金棒、横転していてもまずリカバリーできる。崖から落下したような特殊な事例(事故と呼んでいい状態)以外は、一人で対応できるツールだ。しかし、同時に、最も危険なツールでもあり、取り扱いを誤ると、大怪我をしたり、車の下敷きになったりする。言い換えると、プロの道具だ。チェンソーなどと似ているのだ。しかも、重くて、がさバルので、小さいジムニーだと携行するのが大変だ。外に取り付けると、取り出しやすいのだが、泥で汚れるし、何よりも錆びるのがよくない。だから、私の場合はなるべく室内に、固定するようにしている。これは、RV4ワイルドグースの製品で、JB23用のハイリフトジャッキ用の固定ブラケットだ。最初は、自分用に作ったものだ。リヤにただ積載するのと違い、ボルトで固定するので、動いたりはしない。多少の荷物があっても、アイナットで固定しているので、手で外せる。大げさなものだが、オフロードを走るためには、仕方がない。安全のためにも、確実な固定は必要だからだ。JB23がでて、22年が経過したが、実はこの商品、ほとんど売れていない。ハイリフトジャッキは、プロのツール。必要とする、人はどうやら少ないらしい。でも、JB64用を開発開始しました。自分用です。


ジムニーの切手が発売されます
ジムニーの切手が、12月22日かた、静岡限定で、発売されます。
この度、日本郵便株式会社 東海支社様より“オリジナルフレーム切手「遠州と共に50年 世界に誇る名車Jimny」の販売開始” が発表されました。
ジムニーが描かれた切手シートが12月22日(火)より販売開始されるという内容です。
詳細につきましては下記リンクをご確認下さい。
https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/frame/detail.php?id=1594
また本件に伴って、前日12月21日(月)に磐田工場において贈呈式が開催されます。
この度、日本郵便株式会社 東海支社様より“オリジナルフレーム切手「遠州と共に50年 世界に誇る名車Jimny」の販売開始” が発表されました。
ジムニーが描かれた切手シートが12月22日(火)より販売開始されるという内容です。
詳細につきましては下記リンクをご確認下さい。
https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/frame/detail.php?id=1594
また本件に伴って、前日12月21日(月)に磐田工場において贈呈式が開催されます。
スズキの100年史

本日、スズキから『スズキの10年史』、なんと、524ページもある本が送られてきた。早速、読んで見ると、ホープスターの話もでてくる、ジムニーLJ10が売れないだろうそんな車を作ってどうする等ジムニーの本当の話が、きちんと書いてある。ジムニーは、鈴木修さんの言葉を借りると『貰い子』だったので、何度も継子扱いされたことがある。それが、この100年史ではジムニーが正当に書かれていて、以前よりも存在感もある。スズキはすごいなーと思った。これからもスズキの未来は明るいいと感じたのである。
色々な自動車会社の社史を読むと、『うそが書いてある』、『ごまかしてある』、『都合の悪いことは書かない』、という会社は、私の経験だが、だんだんと傾いいていく。日産や三菱自動車、スバルがその例だ。社史に都合の悪いことが、省略してあるのだ。しかし、トヨタは社史にきちんと経営危機や、失敗の事が書いてある。それも、はっきりと第三者で中立な人が書いたように、書いてあるのだ。この違いが、会社の姿勢、経営力、宇宙を味方にすること等につながっていくのだと思う。
100年のスズキの社史、全文、細部まで読み込んでいこうと思う。524ページ本当に大作ですね。お正月に全部読もうと思う。
伊禮さんの自宅を訪問
JA12Wレストアー
ソロフライト
JA12Wのレストア
JA12Wのレストア
レスキュー用品の整理

JB23に搭載しているレスキュー用品の整理をする。重複しているものを、降ろして軽量化をめざす。レスキュー用品は、クルマと工具の関係に似ている。整備の知識が豊富でも、工具がなければ、修理はできない。それも、状況によっては、様々な工具が必要だだ。だから、『積載する工具も、どこまで野外整備をするか?』を決めないと、何をどれだけ搭載するかを、決められない。ジムニーにランクル用の大型の工具は不要だ。ジムニーに合ったもの、小さくて、軽量なものを積めばいい。
レスキューツールも、電動ウインチを搭載しているか?ハンドウインチウインチを搭載しているか?で、持ち物も違ってくる。人を助けに出動するときは、これまた違ってくるが、今は、電話でスタックの状況を聞けるので、ロープの長さや、持っていく装備はあらかじめ想定できるようになった。『備えあれば患いなし』とはいうが、想定が大切だと思う。想定を超えているときは、諦める、出直す、新たに助けを呼ぶ、とすぐに判断ができる。今は、ロープ等が軽く小さくなり、装備の重量を低くできるようになった。でも、四駆の人達は今でも長いスリングにUシャックルを持っている人がいる。40年前と同じなのだ。アメリカでは、ウインワイヤーでさえもう使っていない。カーボンのロープを使っている。けん引金具も、ロープシャックルになり、装備は軽薄短小になっている。新しい装備がでると、それを求める人々が多いのだろう。その点、日本のオフローダーは、後れているなと思うことが多い。装備を整理していて、そんなことを思った。
ハイキングブーツ

先日、ブロンコへ行ったときに、ハイキングブーツが壊れた。靴底が剥がれたのだ。新しいものを買い求めた。軽くて、グリップが良くて、履き心地がいいものを選ぶ。長持ちするは、2番目である。クロカンでは、靴は手袋と同様にとても大切だ。体を守ってくれるものだからだ。斜面から落ちないで踏ん張るためには、靴底のパターンが、MTタイヤのようになっていないといけない。滑り落ちると、怪我をするからだ。捻挫しないようにハイカットで、足首までホールドするものが望ましい。私も、ローカxットのハイキンブブーツを時々使用する。場所により、使い分けている。ジムニーの運転だけなら、靴底の薄いスニーカーがいいだろう。ペダルの感覚も、足に伝わってくる。しかし、車外が岩や泥や土ならば、スニーカーではだめだ。安全のために、靴はハイキングブーツになる。クロカンの装備は、ロープやハンドウインチだけでなく、身に着けるものも大切だと思う。

ズワイ蟹の初物
ジムニーファンVOL11の付録がベトナムより到着
キューベルワーゲン
初級オフロードスクール

12月6日(日)は、初級オフロードスクールの開催。日程が悪いらしく、珍しく生徒が集まらなくて1名の参加だった。浜松市の大滝さんだ。過去、RV4ワイルドグースをはじめてすぐに『オフロードスクール』を始めた。もう、26年になる。最初は、店の宣伝という意味あいで始めた。しかし、途中から気ずきがあり、『四駆、ジムニーの啓蒙をすること』が大切だと思い、今はそのことに集中して、オフロードスールを行っている。最初は、1年に1回とか、2回だったので、30人とか生徒が集まった。一人で、30人を実技で教えることはできないので、野鴨雑技団という四駆クラブにアシスタントを頼んで行っていた。今日は、生徒が一人だったが、最初の頃を思い出した。たった一人でも、ジムニーの面白さ、楽しさが伝わり、ジムニーライフを送ってくれるようになれば、今日のオフロードスクールは大成功だと思うのである。相模川の猿ヶ島は、暖かくて沢山のオートバイや四駆で賑やかでした。


磐田市のソバ屋
SJ30Fレストア
浜松の『さわやか』でハンバーグのランチを食べる

浜松での取材が終わったので、おそい時間の昼食。静岡県では有名なハンバーグのお店『さわやか』で、JCJ清水さんとランチ。このあと、浜松駅まで送ってもらった。浜松駅で、ベンチに座ってを黄金分割の本を読んでいたら、インド駐在の蓮池さんから『二階堂さん、蓮池です』と声をかけられた。まさか、インドにいるはずの蓮池さんがいるとは思わず、驚きました。浜松から新横浜まで、新感線の中でインドのスズキの状況を聞きながら帰りました。じつは、前日に『インドの蓮池さん、どうしているかな?元気かな?』とJCJのメンバーと居酒屋で話したばかりでした。なんという、偶然と思いました。『コロナ過が、見通せるようになったら、インド取材にいきます』と、約束して別れました。もし、清水さんとランチしてなかったら、蓮池さんと逢うことはあり得ませんでした。不思議な、ジムニーの因縁です。
トンネルカフェと静修CLUBを訪問
ジムニーSJ10とSJ20

SJ10とSJ20を2台の比較記事を作ることになり、並べて撮影するために、磐田と浜松で車両を借りた。左の写真はSJ10ー4型で、フェンダーミラーの形がSJ20ー3型とは違う。フロントバンパーも黒色に塗装されている。SJ10とSJ20は、ボデイーは、全く同じで、エンジンルームを見ない限り識別は難しい。唯一の違いは、『ジムニー55』と『ジムニー8』と書いてあるステッカーが、リヤゲートに貼られているのだが、この2台ともオリジナルのシールがなくなっているので、識別はできない。外観上の違いは、黄色ナンバーと白ナンバーの違いのみだ。ちなみに海外では、同じナンバープレートである。SJ20は、エンジンの高さがSJ10とは違う。このため、SJ20はスラントノーズのボンネットから、空気穴のスリットが横に2本入った高さの高いものへ変更になった。しかし、なぜ、SJ10も高さのあるボンエットに変更になったのか? これは共通化によるもので、本来SJ10には必要のない変更だった。それらのことを、次の原稿では書こうと思っている。日本では、なじみのないジムニー8だが、この車両が世界中に売れて、ジムニーの神話を作ったのである。

