エジガレージのエジさんとミヨシさんが来社
ホープスターON型4WD

このホープスターON型4WDは、10年前にJCJのイベントで走らせたことがある。1年くらい、RV4ワイルドグースで預かり、石川雄一氏の『CCV』誌や『ジムニースーパースージー』誌で、走らせてLJ10との比較記事を作成した。そのときは、ブレーキのホイールシリンダーシリンダーとマスターシリンダーのオーバーホールをして、キャブレターの掃除をしただけで、走行できたのだ。そのあと、ジムニーの40周年を記念して、スズキ本社前に集合、JCJメンバーの方々と試乗もしたら、ホープスターのトランスミッションのレバーを折った人がいて、試乗会は中止となった。
その車両をオーナーの西川さんが、再び車検を取り、走らせたいと希望している。先日、車両を点検しに行くと、ブレーキは完全に固着している。どのくらいかかるかわからないが、とりあえず、走行できるようにレストアを引き受ける。これも、私に与えられた運命だろう。
オリジナルにこだわると難しいが、LJ20のパーツを、使用すれば、動くようにはできると思う。ホープスターのレストアの模様は、『ジムニースーパースージー』でも、掲載する予定です。
厚木のシロコロホルモン
ジムニーのフレーム

ジムニー歴史館ができて、SSCにとっては本当に役に立っている。過去の歴史から学ぶことができる場所だからだ。歴代のジムニーの変化を、時間軸で見ていくと、進化と同時に退化もある。そのようなことは本を読んだり、写真を見ただけでは、なかなか理解できないが、実物を見ていくと、潮流がみえてくる。
これが、自動車博物館や航空博物館、多種多様な博物館の価値だと思う。この写真はジムニーのフレームの比較だ。手前の黄土色がLJ20のブレームで、JIS規格の角型鋼管を加工して製作したもの。LJ10からJA12/22までずっとこのやり方だった、奥の白いフレームがJB23のもの。JB33も同じだ。鉄板を切り、曲げ加工し、溶接してつくられている。どちらが合理的かは、原価を調べないと不明だ。
ただ、JB23のフレームは錆びやすく、道路に塩を沢山まく地方ではフレームが錆びてしまい10年すると、使いもにならない。しかし、LJ20のフレームで、錆で乗れなくなったとは聞いたことも、見たこともない。この差は?と考える。自動車博物館の価値は、限りなく高いと思うのである。考えるための、ヒントがそこら中にある。お陰て私は、原稿のネタには全く困らない。
『ジムニー歴史観』感謝です!!!
ジムニー歴史観へ行く

9月20日、自宅で原稿を書いていたら、不足の写真があることに気がついた。来週には、完成させてスズキ本社に納品の予定の物だ。こういうときに、役に立つのが『ジムニー歴史観』。とりあえず、カメラを持ち出す。しかし、一人で行くのは、もったいないので(スズキ的考え方です.)、長女の長男の麟太郎10歳(小学4年生)を、洗脳するためため連れていくことにする。
つい最近1982年の ジムニー1000(SJ40V)のボデイーサイドの赤いストライプを、ワンオフで作って、張ったそうだが、すごいね?いい感じ。無いと何か間抜けな感じだ。デザインの力とは?何か?を、強く感じた事象でした。
必要なホープスターとLJ10の写真を取り直し、今日の目的は無事達成。帰宅しました。


御殿場市沼田のブルーベリージャム
プロスタッフのジムキャリー
八戸工業大学の工藤祐輔教授が、キャリーの改造車のことを、消防署で使うとよいと推奨してます。
プロスタップは、ジムニーの駆動系をキャリーに移設して、車高を上げたジムキャリーという改造車を作っています。SSでも特集で紹介しました。
東北大震災では、津波による火災が発生したけど、瓦礫におおわれて消防車が、現場に入れず、困ったそうです。それを解決するために、高い機動性能をもつケイトラに、消火設備を積んで、火災現場に駆け付ける。NHKでニュースとし扱われてます。
ぜひ応援したいと思います。以下、見てください。
https://www.nhk.or.jp/aomori/plus/contents/200903_1.html
プロスタップは、ジムニーの駆動系をキャリーに移設して、車高を上げたジムキャリーという改造車を作っています。SSでも特集で紹介しました。
東北大震災では、津波による火災が発生したけど、瓦礫におおわれて消防車が、現場に入れず、困ったそうです。それを解決するために、高い機動性能をもつケイトラに、消火設備を積んで、火災現場に駆け付ける。NHKでニュースとし扱われてます。
ぜひ応援したいと思います。以下、見てください。
https://www.nhk.or.jp/aomori/plus/contents/200903_1.html
ヒロシのソロキャンプ
スズキジムニーの50年の歴史
10月18日ジムニースーパースージー東雲で取材です
難波治さんが来社
JB74にルーフラック取り付け
SJ40T改はジムニーの未来を映し出している?
フィロソフィー経営実践塾箱根合宿勉強会

盛和塾が昨年解散となり、新たな勉強会として発足した横浜の『フィロソフィー経営実践塾』の箱根合宿勉強会が、2020年9月12日天成園で開催。60名が参加した。今回の経営体験発表はPMTの京谷社長。私には、次元が高すぎて、京谷社長の発表の僅かしか理解できないが、沢山のヒントは貰えたし、やり方の一部も真似できそうだ。人は人で磨かれるというが、本当だと思う。優れた人に会い、話を聞かないと、こちらの心も磨かれない。本を読んだだけでは、ダメだと、コロナのお陰で本当にそう思う。昼から、夜の二次会まで、ずっと経営の話をしているが、経営の話をするのは楽しいと思う。でも、普通のサラリーマンには、無理だのだろうなと、ふと思います。すてきな仲間がいて、自分は幸福であると思えた合宿でした。
ジムニー歴史観へ行く
SJ40T改を取材
ウエポンキャリヤWC-51
ケッテンクラート
デロリーアンDMC-12

かまど自動車にあったデローリアンDMC-12だ。聞けば小林社長の愛車だそうだ。ちなみに、これで3台目のデローリアンで、そのくらい好きな車両だそうだ。私も、1982年にスズキに入社したときに、このデローリアンに乗ったことがある。スズキで参考車として1981年に購入したものだった。スズキは、ステンレスボデイーに興味があったらしいが、実用化されたとは聞いていない。デローリンアンのデザインはイタルデザインのジウジアローの手によるもの。メカ部分は、ロータスが担当し、製造はイギリスであった。会社を興した元GMの副社長ジョン:デローリアンのアイデアによるもので、アメリカ製ではない。デローリアン・モーター・・コーポレーションは、妬みを買って、倒産させられたというが、継続してほしかった会社だと思う。
映画『バックトーザフーチャー』は、私も好きで何度も見た。この車両を見ると、ドクとマーフィーを思い出します。
かまどを訪問
富士ケ嶺オフロードコース走行会
初めてのジムニーオフロードスクール

2020年9月5日、初めてのジムニーオフロードスクールを開催する。綾瀬市の小林さん、群馬県太田市の角野さん、埼玉県深谷市の清水さん、大阪府泉大津の安井、川口市の越坂さん、平塚市の座間さんの6名でした。安井さんは、大阪から7時間かけて、スクールへ参加してくれました。安井さんによれば、大阪にもジムニーショップは、沢山あるけど、理論正しくオフロードのドライビング技術を教えてくれるところは一つもないとのこと。確かにオフロードの技術を教えているショップ、会社は、当社だけだと思う。普通のショップは、パーツを売ったり、コンプリートカーを売ったりすると、そこでおしまい。我々は、売った時から、次の段階が始まると考えている。ジムニーを買ったら、それを使いこなす。その手助けをする。ジムニーが面白いことを、体験、理解してもらおうという考えでオフロードスクールを開催している。ハードウエアとソフトウエアの両立こそが、ジムニーの世界を広げる。
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稲盛和夫名言録 発売中
ジムニースーパースージー120号9月9日発売
サンタモニカのナンバープレート
SJ410Wの修理

浜松からの帰り道、エンジン停止でトラブル。原因はコンタクトポイントが、折れて火花が飛ばなくなった。エジガレージに入庫する。コンタクトポイントが来る迄、車両を点検してもらう。15万キロ走行なので、タイミングベルトを交換しようとSJ40のパーツをとると、84コマ。SJ410Wは88コマで、そのままつかない。エジがインドネシアからタイミングベルトを輸入してくれる。それを交換。プラグも交換。ウォーターポンプから水が漏れているので、それも交換。フロントハブの左側のベアリングから異音がでているというので、左右とも交換。エアークリナーも汚れていたのでついでに交換して、今回の整備は終了。
1994年の車両なので、車歴は26年、メンテナンスしないと走れません。整備してエンジンのパンチは無くなったのですが、燃費はリッター10kmから12kmと2割もよくなりました。

