ワイルドグース店舗の床掃除
忘年会
JB64Tシャツできました
大東繊維へいく
戦艦金剛の釜たき
大和ミュージアムへいく

大和ミュージアムへ佐藤画伯と見学に行く。大和は、世界一の戦艦で、その当時日本海軍は世界最高性能の戦艦をつくりあげ、欧米を凌駕した。しかし、太平洋戦争では、何度も活躍するチャンスがあったのに、山本五十六は大和を使わなかった。兵士に大和ホテルを言わしめたように、自分の作戦本部、根城としてしか使わなかった不思議がある。開戦から2年は、アメリカ海軍には、大和を沈めるための武器を持たなかった。アメリカの戦艦でも、飛行機でも、大和を仕留めることはできなかった。なにしろ、アメリカの魚雷がまともに、目標にあたり爆発するようになったのは、終戦間際である。大和が出ていけば、アメリカ軍もオーストラリア軍も逃げるしか方法がなかったのだ。太平洋戦争は、本当に不思議に満ちている。大和は、無駄に沖縄に特攻されて沈んだ。その無念を思うと、私は、とても悲しくなる。46cm砲で、一度でいいから、アメリカ海軍の艦艇を砲撃してほしかった。
岩国基地の慰霊碑にお参りする
海上自衛隊のカレー
岩国31航空群を訪問
ロープシャツクル販売開始しました
エスクードTD51W走行30万キロを超える

平成9年式(1997年)登録の、私のエスクードが先日、ついに走行30万キロを超えた。このエスクードのすごいのは、21年目なのに、どこも壊れていないことだ。ラダーフレームのある車両の、最大のメリットである。同じスズキ車でも、アルトやワゴンRで、21年乗り続ける人は見たことがない。それは、実際、乗りたくても、各部が摩耗して、電装品やベアリングの交換が必要になると、それを交換するよりも、新車を買った方が安いということで、普通の人は乗り換えをする。
しかし、オフロード走行をあまりしない、エスクードやジムニーは、普通の車よりも何倍も長持ちするのである。私のエスクードが、その好例だし、エスクードクラブの方々の車両をみてもそう思う。
長く車に乗ることが最大のエコであると言われている。古いエスクードに接していると、本当にいい車だと思うし、ある種の畏敬も感じる。そのような、車を持っている自動車メーカーは、長く続と思う。


はじめてのジムニーオフロードスクール

2018年12月16日はじめてのジムニーオフロードスクールを開催する。5名、4台の参加。今日は、はじめて新型ジムニーJB7の参加がありました。遠くからは福島県いわき市の澤田さんは、10月のジムニーカーニバルで見かけている。横浜から来た北畠さんはご夫婦で、以前にも参加されている。東京の竹内さんはJB74で参加、トランスファーのローテンジを使うのは、今日が本当にはじめてだそう。平塚市の藤本さんは3年もJB23Wに乗り相模川の側道を走っているが、オフロードへ乗り入れたのは今日がはじめて。最後の、ミーテイングで皆さんが、『ジムニーでオフロードを走ることが、こんなに楽しいことを初めて知った』と言ってくれました。これからも継続してスクールを開催するのは、我々の義務だと再認識しました。


ロープシャツクル完成

新しい牽引用品である、ロープシャックルの量産品が、ついに完成しました。試作では、保護の布カバーが小さくて、ずれやすいということで、量産は長いものにしました。ロープなので、軽い。これで、約80gです。計算上の耐荷重は約7トンです。切れても、金属の金具の様に飛んでこないので、安全だという大きなメリットがあります。そして、S字フック大が、1.1kgあるので、その差は14:1。どこにでも持ち運べる。ベルトに数本差しておいて、オフロードのレスキュー作業が必要なときに、すぐに取り出せる。高い機動性があります。ロープは直径8mm細いので、ジムニーの牽引フックにかけられます。今までにない、革新的な製品です。メイドインジャパンです。豊橋の網の工場で、職人が手で編んでいます。
厚木でシロコロホルモン
富士川飛行場でフライト
JCJ本部の忘年会
JB32-Tとジプシー
JB32-Tルーフトップテント
JB32-T取材
尻焼温泉
JB23W-1型を入手

ジムニースーパースージーの製作時に、いつもJB23Wの1型を探していたのですが、本当に何年も見つかりませんでした。あれば、改造してあり、ボコボコで撮影や比較対象に使えない。1型と聞いて、急いで出かけいき車検証をみると、2型だったりしました。それが、ついに手に入りました。JCJ神奈川のGさんから譲って貰いました。しかし、その車両がすごい。走行が僅か49100Kmなんです。しかも、外側も、中もきれいに乗っています。不思議な因縁で手に入りました。ジムニーにこだわっていると、ときどき不思議なことがあります。現在、スズキ歴史館にある2台のLJ10(展示はいつも1台だけ)は、2台とも私が所有して、乗っていたもの。それが、過去40年で50台くらいLJ10を見ていますが、その2台が最高のコンデイションなのです。スズキからの依頼で、しかたなく譲渡しましたが、不思議にそのようなことがあります。ジムニーが行き場を求めて、自然に集まってくると言った方がいいのかもしれません。このJB23-1型、暫くの間はジムニースーパースージーの誌面で登場する事と思います。

