芸能人の『ひろし』さんが来店

今日は、芸能人の『ひろし』さんがワイルドグースへ来店されました。ジムニースーパースージーの取材で、来社されたのですが、思わずワイルドグースに欲しいものがあり買い物になりました。有難うございました。

『ひろし』さん、実は、ジムニーJA11Cを昨年、買ったのです。それで、ジムニーにはまり、いつも、ジムニーのことを考えていいるそうです。今日は、芸能人のひろしさんというよりも、ジムニーユーザーとしての、露出です。

撮影でヒルクライムもやりました。猿が島は、2回目だそうで、来たことがあるそうです。『ひろし』さんの記事は、ジムニースーパースージー99号3月9日売りで、掲載されます。ご期待ください。
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富士川飛行場でフライト
初級オフロードスクール

1月28日、初級オフロードスクールを開催。東京豊島区の渡辺さん夫妻、横浜の富園さん、長野県の小林さんの3人と、今日は少人数でした。

ヒルクライムとヒルクライムのリカバリーの練習を最初に、しました。

ヒルダウンはまっすぐ下りるのが原則です。

今日は、カルガモゴッコで帰るときに、一台がおくれて、私たちに追従できず、離れていしました。自分で道を見つけて走っているうちに、どうやら大石を抱いたようです。

トランスファーのマウントのアルミフレームが折れ、トランスファーが下側へ下がりました。それで、リヤのプロペラシャフトが外れて、損傷。自走できなくなました。1989年にオーストラリアンサファリに持って行った針金が私のJB23Wに搭載してあったので、その針金で、トランスファーとプロペラシャフトを固定。準備した緊急パーツの一つでしたが、28年が経過した、本日、役に立ちました。応急修理してから、ワイルドグースまで、フロント2WDで帰りました。

ジムニーJ2

APIOの駐車場に、ジムニーJ2があった。ジムニーの2輪駆動車で、パジェロミニに2WDの仕様が存在したため、スズキがその対抗馬で出した車である。ジムニーの2WDになんの価値があるのかと思うが、それを理解できない人がスズキの営業にもいたのだろう。ジムニーの価値は、そのオフロード走行性能にある。もちろん、普通の軽自動車として日常でも違和感なく使えるスーパーカーである。それを2輪駆動にしてしまうと、タイヤの大きなアルトとになる。存在価値はないだろう。このような車を出すのは、過ちの始まりだが、売れなくてすぐに生産中止になったのがせめてもの救いだ。

ジムニーJ2は、タイヤが15インチ、フロントグリルがJ2専用、ヘツドランプもリングがついいていて、普通のジムニーとは違うデザイン。フロントにデフは無く、1本棒のアクスルがある。フロントへのプロペラシャフトもないし、トランスファーの4WDポジションもない。あとは、普通のジムニーと同じなので、利点としては部品取りには安くていい中古車である。あとは、価値がない車である。
LJ10を取材

今日はAPIOの尾上茂さんのLJ10を取材しにでかけた。尾上氏のジムニー倉庫にいく。ジムニー、エスクード等が12台ある。

レストアが完了したLJ10を倉庫から外に出す。

このLJ10の色は、サンストーンホワイトという色で、その当時のスズキキャリー等にあった色だ。

LJ10を私有している人は、JCJ関係にもたくさんあるが、ここまできれいにレストアされたLJ10は私が知る限りない。

エンジンを回すと、2サイクルオイルの白煙がこのように出ます。

撮影が終了して、LJ10を倉庫に戻します。1mほどの段差があるので、ラダーをかけて上りますが、2輪駆動だと、ちょっと難しいかもしれません。

1981年5月に尾上さんが、二階堂と一緒に買ったSK30FMがありました。尾上さんは、それからずっとこのSJ30を所有しています。現在2017年なので、36年が経過していますが、今でも走るし、極悪路の走行では現行のJB23Wよりも性能が高い事実があります

尾上さんや私の運命を変えたSJ30です。私は、ジムニー1000(SJ40)を買う時に、SJ30は下取りに出したので、そのSJ30は所有していません。しかし、SJ30はジムニーの原点だと思うので、今でも1台所有しています。700kgのSJ30は、『ジムニーの軽さとは何か?』今でも私たちに教えてくれるのです。
冨士がねオフロードでSSの取材
カマドへ行く
戦艦三笠

先日、横須賀に行ったときに散歩がてらに、戦艦三笠まで歩いていった。海を見ていると、疲れた目が修復される。せっかくなので、パンを買って三笠で昼食にした。
そのあと、バルチック艦隊と日本艦隊の交戦記録を眺めていたら、説明員の方が来て、日本海海戦の説明をしてくれた。話し方、動作、知識どれをとっても、元海上自衛隊の幹部だったと思われる人だった。その人の説明で、40年間疑問だった日本海海戦の神髄が理解できた。せいぜい10分程度の時間である。私はどうしてT文戦法、トウゴウターンと言われるものの意味が分からなかった。合戦図をみても、シュミレーションの模型を見ても、T字になっている場面がどこにもないのだ。それを、その説明員の方は司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』で有名になったので誤解する人が多いのだが、あれはT字戦法をバルチック艦隊にしかけて失敗したのだそうだ。そこで東郷提督は、敵の頭を押さえる艦隊運動を行い、同行戦闘に持ち込んだのだそうだ。日本艦隊のすごさは、一つは大砲の命中率がロシアより高いこと。そして、艦隊決戦は1回でなく、10回行われて根こそぎロシア艦隊を撃沈した。その執ようさは、太平洋戦争では一度もなかった。相手を徹底的に攻撃して壊滅させるという攻撃精神のすごさであるという。なるほどと感心した。ちなみに、日本海海戦記録は、太平洋戦争でほとんどが焼失、1セット残っていたものを米軍のGHQが持ち帰ったため、もう日本にはないと思われていた。ところが、天皇陛下の御文庫に1セット残っていて、今はそれが防衛省戦史室にあるという。司馬さんは、それを読んでいなかったという。もしそれを読んでいれば、『坂の上の雲』のストーリーは「少し変わったろうと言われているそうだ。長年、疑問だったこと理解できて、興味深い一日だった。こなこともあるんですね。
精米
タジマモーターコーポレーション
オートサロンのSUZUKIブース
東京オートサロンへ行ってきました
ロケットストーブ

毎年のJCJ神奈川の餅つきは、APIOの尾上氏が制作した、野外用のかまどを使う。ひとつは、20Lのペール缶の下部を切り取り、上部のふたを外した形状のもの。これに大なべをかける。もう一つは、販売されていたもののようで、お釜のかまどである。これに薪をくべて野外で調理をする。

JCJ神奈川の松本さんが自作したロケットストーブ。エコストーブとも言われ、東北大震災のあと脚光を浴びたものです。ペール缶2個をつなぎ、煙突を付けるだけの構造。中には、園芸用のパーライトが入っているそうです。

少しの木くずや、紙で着火できる。完全燃焼するので灰が出ない。野外では、とても暖かい。燃料が無限にある河川敷や森で使うには、これはいいですね。でも、実用で今使っているかまどの代替えにならないのかな?と思います。
APIOでリフト体験
ウインチレスキューセットのメンテナス

先日のウインチスクールで使用した、ウインチ用レスキューセットが使いぱなしだったので、河原で装備を出してメンテナンスをする。ほこりや泥を落として、袋に入るように、きちんとたたみ、S字フックの数を確認する。これらは、携行に便利な工具袋にいれて、ウインチ車両に1セットずつ搭載している。

補助ロープは、車両にもっと沢山搭載しているので、これらはあくまでも現場に持ち運び、その場ですぐに取り出すための装備である。ちなみに、50mの補助ロープx1、10の補助ロープx2が黄色のJB23Wに常に積載してある。レスキューに出かけるときは、見えるところに装備はあるので、目視で点検してから出発する。

先日でウインチスクールで曲がってしまった、滑車です。やれやれ、24年目の損傷です。でもまだ修理できそうなので、時間を見つけて板金加工しようと思います。
フロントフェンダープロテクター完成

ジムニーJB23W用のフロントフェンダープロテクターが、ついに完成した。リヤコーナープロテクターとセットで開発を開始したが、どこも造れない。型費をかければ造れるのだが、それでは高くなってしまう。あれこれ、5社に見積もり、試作を依頼して5年かかって完成した。執念がないと部品はできません。

リヤコーナープロテクターは、当社が指定していた住友金属アメリカ製のものが日本国内で入手が不可能になり、しばらく販売を中止していた。ところが、昨年、1本線にドットのパターンで、美しいデザインのアルミパネルが見つかったので、それを使用して量産を開始した。

前後のリヤコーナープロテクターとフロントフェンダープロテクターをセットでつけるとこんあ感じです。
同じアルミ板でも、強度と滑りにくさをだけを考えてデザインされたものは、どうしても好きになれない。この1本線とドットの組み合わせは好きなデザインです。

JCJ神奈川支部のお餅つき
1月8日伊勢原市消防出初式
ホープスターON型4WD

APIOの尾上氏のアトリエにいく。ホープスターON型4WDが、新潟からきていると聞いていたので、今日は撮影に行く。

10年ほど前に、SSC出版で借りていた時期がある。ブレーキを整備して、キャプレターをオーバーホールしてエンジンを始動させた。ボデイーは錆がでているが、1968年の車両なので、多少はしょうがない。ブレーキが錆で固着して動かないので、大変だそうだ。

ワイパーは運転席に1個ある。電動モーターで動く。左はない。

スペアタイヤは、ブラケットごと脱着できる構造。軽自動車の基準に合わせるための工夫である。この発想はすごいです。

色々な努力により、室内のサイズは、LJ10やSJ10よりも荷台は長くて広い。小野さんの思想が伝わってきます。歴史ある車両をみると様々なアイデアやヒントがたくさんあるのがわかります。ジムニーの元祖になったホープスター、すごいね。
ビデオジムニー

元JCJの岡山県の森定さんから、『ビデオジムニー説明書』のを貸してもらいました。長年、ジムニーの資料を集めていますが、これは初めて見ました。よくあったと思います。1970年代の当時は、ビデオの機器が大きくて重い。100Vの電気を必要とすることから野外で使用するのは大変でした。それを、ジムニーのトランンスアーから、PTOポジションでベルトを回転させ発電機を回し、電気を造る。それで、野外でビデオが見れるという車両でした。スズキとSONYの合作でした。でも、学術的には使われましたが、実際の販売は不振で、殆ど売れなくてその姿を消したジムニーでした。

印刷の日付けは、1972年10月で、LJ20Vが使用されています。JCJの初代会長の関重作氏によると、実際このビデオジムニーを中南米にもってき、テレビを見たことのない人人に見せるという科学の実験に同行したそうです。