相模川でBBQ
はじめての
モンスター田嶋パイクスピーク殿堂入り
ジムニーJB23、43W用のシフトブーツ
エスクードのワイパーアームを塗装する
トンネルカフェ
JCJ副会長であった多田君の墓参りへいく
第33回ジムニーカーニバル開催

2016年10月22日JCJの第33回ジムニーカーニバルが、浜松市の秋葉キャンプ場で開催されました。09:30の受付風景です。

45分のオフロード走行会の説明をする競技長の丸地さんは、コースレイアウトを首から下げての説明恐れ入りました。

イベント会場の広場の風景です。埼玉のうどん、東日本支部のホルモン煮、浜松支部の餃子、神奈川支部の焼き鳥、山梨支部のビーフシチューおいしかったです。

オフィシャルミーテイング風景。皆さん有難うございました。お蔭様で今年もカーニバルできました。

10月22日に開催された、トライアル競技の風景です。なかなか、面白かったなー。

10月23日の9:30からの、45分耐久オフロード走行会のスタート前の風景。

スタートして20分経過の風景です。
LJ10のJIMNYエンブレムの位置

先日、スズキ歴史館に、7時間ほどいたので、展示車両を眺めていたら、
『あれ、LJ10-1型のJiMNYのエンブレムがボンネットにある!』
これは、正しくない。この車両は、元は私が所有していた車両で、スズキ歴史館を造るというので、スズキに泣く泣く譲渡したものだ。元の私の通勤車両でも、レストアしたのも私だ。だから特に気になる。つい、先日まで正しい位置にエンブレムがあったと思うので、エンブレムを移動したのは、最近だと思う。誰ですか?エンブレムを動かした人は?

lLJ10ー2型は、この位置でいいのだが、1型は正しくない。ボンネットの左側についいているのが正しい。これは、スズキの商品ニュースにも書かれていることで、記録がある。また、LJ10-1型のカタログと2型のカタログの画像も明確に違う。

ボンネットの左側にスリットがないのが1型。2型からエンジンルームの熱を逃がすために、左右にスリットが追加された。
それで、JIMNYのエンブレムが、ボンネットの左前に移動したのだ。知識のない人が、指示したのだろう。困るなー。
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浜松駅
k-mixへいく
スズキの広報映像の撮影

10月17日にスズキの広報部からの依頼で、スズキの広報映像に出演することになり、スズキ歴史館へいく。3分ほど遅れスズキ歴史館へ9時33分に到着すると、すでにビデオクリューが8人も勢揃いしていて、私を待ち構えている。これは大変!
私は、元スズキの社員で、日本ジムニークラブの会長でありスズキファンの筆頭であるという紹介らしい。スズキでは、会社紹介のDVDを数年に一度、作成してスズキの代理店に配布、社員教育や販売店への説明につかうのだそうだ。
『スズキの公のビデオに出演するのが、私でいいのかな?』と思うが、『世界一のジムニーフリーク(バカともいう)』と言われれば、そのとうりだと思うので、仕方がないか?

午後からは、伊藤光夫さんの撮影だった。光夫さんは、マン島レースで50CCクラスで優勝したした伝説の社員。もし、あの時、スズキがマン島レースにでて優勝していなければ、今のスズキはないと断言できる。久しぶりで、光夫さんとお話ができました。光夫さんと、共演できて誠に光栄な経験でした。
www.iom1960.com/kazemakase/kazemakase-itoh.html

伊藤光夫さんとツーショットの撮影をしてもらいました。光夫さんは、私がスズキに入社した1982年のときには、2輪の輸出営業の課長でした。その当時は、2輪も4輪も同じフロアーにいて仕事をしていたので、 しょっちゅう顔は見ていましたが、会話をしたのはたぶん3回くらいと記憶してます。
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ジムニーの絵本第二弾、制作進行中

2年前に発売した世界初のジムニー絵本『ドクトルパンダとジム太』から、2年が経過しました。現在、ジムニー絵本シリーズ第2弾『郵便配達のジム太』の製作が進んでいます。原画の9割が完成し、これから最終の調整です。

物語は、吹雪の中、クリスマスプレゼントの入った小個包みを、郵便局長のパンダと、ウサギのラビちゃんが山の上にある、羊さんのうちまで届けるという物語です。原作は二階堂裕。絵は前回同様三木茂、かおるのお二人が担当してます。文章は、日本語と英文の併記です。アナログの紙の本も発売しますが、電子書籍版はアマゾンで、世界中どこからでも買えます。世界中のジムニーファンへ向けての1冊です。近日発売予定といっても、まだ、文章の練り直し、英文翻訳と仕事はまだ残っています。
JB23Wの牽引フック

1998年にJB23Wが発売されたときに、前後の牽引フックがなくなっていて驚いた記憶がある。フレームがある、クロスカントリービークルなのに、オフロードでスタックしたときは、どうするのだろう?疑問に思った。一応、積載車や船に積んだ時の、タイダウンフックがあるのだが、これで、引くとフレーム自体が曲がる。曲がると、修正が大変です。それで、いろいろなところから牽引フックが発売されている。この画像はワイルドグースのオリジナルでフロントの右側です。

これは、フロントの左側です。タイダウンフックの形状に合わせた、補強タイプですが、ガーンと引いても曲がりません。丈夫です。また、ノーマルバンパーでも、対応できます。

これは、リヤの左側の牽引フック。左側も右側も共通です。リヤバンパーがノーマルでも使えます。そのまま、ボルトオンで取り付けできます。ワイルドグースの牽引フックは、全部、赤色です。S字フックが黄色なので、色のバランスを考えて造りました。
スコップ
ジムニートラックベースのバン
JB23Wのジャダーを止める

JB23Wの走行距離が長くなるとジャダーが出ると多くのユーザーが訴えます。原因を調べてみると
①タイヤ・ホイールのバランス不良
②トレーデイングアームのブッシュの不良
③ショックアブソーバーのブッシュの不良
④フロントアクスル部分の歪み
等が原因で、それも古い車になると複合的に発生する。それらを全部修理していくととても高額になるのです。しかも、全部直してもジャダーが止まらない事もあります。現因を突きとめられないのです。たぶん、全体のひずみからでているのだと推測します。
そこで、『ジャダーストップキット』というのを作りました。フロントアクスルのナックル部のオイルシールを、ジャダーを止めることを目的として、当社で設計した『赤いウレタン性の高級なオイルシール』へ交換します。装着後走行テスト結果です。車両は、JB23W-3型黒色、走行18万km。ジャダーストップキット装着後に、1700km走行し、テストを実施しました。
結果は、40km/hから60km/hで発生していたジャダー(タイヤの摩耗によるホイールバランス不良からくる振動)はタイヤバランスを取らなくても、完全に止まった。装着後の変化とフィーリングは、
①装着後はハンドルが重くなり、遊びが減少する。重くなる感じは、ステアリングダンパーをJB23Wに取り付けたよりは軽い感じ。②低回転でのパワステのフアフア感が無くなり、ジャッキとしたハンドリングになる。
③全体的にどのスピード領域でも、ハンドルの遊びが減少して、ハンドリングがシャープになる。④直進性能が増加する。
⑤全体的に走行安定性は増加、特に高速道路で安定する。
というような結果が出ています。
JB23Wのテールが滑る

最近、高速道路を走行していると、時速100Kmあたりで、JB23Wのテールが滑る。高速の緩いカーブでも発生する。あれ、おかしいなと思った。タイヤがかなり摩耗しているからだろうと思っていた。ところが、先日、洗車したときに、ショックアブソーバーの切り替えを見ると、後ろの右側が4番になっている。自分では、最後の記憶ではフロントを6番、リヤは7番にセッチングした。後ろの左を見ると7番である。前を確認すると、左右とも7番で、私の記憶と違う。会社の誰かが、切り替えたのだろう。このKYBのKHSショックは、古いので、現状の14段階の調整ではないが、切り替えの内容は同じ次元だ。さっそく、元のフロント6番、リヤ左右とも7番に切り替えたら、テールの滑りはなくなった。ショックの減衰力は左右は同じでないと、路面の追従性が悪くなり、タイヤが滑るようになるらしい。このような顕著な差があるとは、初めて知りました。リーフだとたぶんわからないでしょう。知らないことは、沢山あります。