オフロード英才教育
『ジムニー4WDオフロードハンドブック』製作中
オフロードスクール修了認定証
第132震洋特別攻撃隊

一昨年の12月に亡くなった父の供養で、四国の土佐清水へ家族と行ってきた。インドに赴任している、長女の都合で今回行くことになった。父、二階堂悌二朗は、昭和2年生まれ。昭和19年に海軍の予科練に入るが、もう負け戦で乗る飛行機がない。250kg爆弾を搭載した『震洋艇』の第132震洋特別攻撃隊となり、ここ、土佐清水で出撃を待っていた。

8月15日に終戦になり、命を拾ったといつも言っていた。記念碑には、父の名前もある。

土佐清水の港には、今も15個の洞窟があり、ここに『震洋艇』が隠されていた。昼間は、米軍のグラマンF6Aの攻撃を受けることがあるので、訓練は夜だったそうだ。

父の遺言で、この土佐清水の梅、それも『震洋艇』の訓練海域に、散骨しました。海にお花とお酒を流して帰ってきました。これで父の遺言を果たすことことができて感無量でした。生前、父と交流のあった方々のお世話になりました。ありがたいことです。


グライダーに乗る
航空学生25期同期会海老名

5月21日土曜の夜、厚木基地の近くに住む海上自衛隊航空学生25期の同期会を海老名で開催。5月16日に、春の受勲があり、25期では、5人が受勲した。今日は大沼君、大村君が来て、皆でお祝いの席である。縁起のいい飲み会である。

大村君、大沼君、受勲おめでとう。ちなみに、受勲すると、海幕長主催の昼食会があり、内閣総理大臣から勲章が授与される。この日は、安部首相は来れなくて、代理の方からの受勲だったそうだ。そのあと、バスで皇居で移動して、整列。ほとんどが公務員だったそうだ。300名ほどが整列していると、天皇陛下がお祝いのお言葉をかけてくれ、そのあとは、受勲者の前、1mほど前を陛下が歩いてゆっくりと通過される。夫婦同伴が許されているのだが、奥様のところでは、声をかけられることもある。高齢で、車いすの受勲者には、陛下は立ち止まって、一人ひとり声をかけられたそうだ。実に光栄な体験を聞かせてもらった。私の父も、亡くなる間際まで勲章を欲しがっていた。生前はもらえなかったことが、くやしかったようだ。勲章をもらえうような人生はやはりいいものだと思う。25期の、月野木君、宮武君、日比野君、大村君、大沼君、受勲おめでとう。
盛和塾横浜アクション20
清水純さん来店
江の島水族館から見た景色
ジムニースタジオ入間
クロカン用のグローブ

オフロードのドライビングやクロカンでのレスキュー作業では、手袋は必需品だ。競技でもグローブをするのは、怪我を防ぐためでもあるが、正確なドライビングができるからだ。左は、オーストリアのチェンソーメーカー『ファナー』が出している『グラブテクニック』と名前の手袋。2500円とちょっと高いが、人差し指の動きがいいし、山羊の皮の感触がよい。社長が、ダニエル・山田といってどうも日系らしい人で、親近感もわく。中央は、日本製のスワニーの手袋。もう、20年使用している。糸が切れて、2回くらい修理して今も使っている。6000円くらいしたと思う。皮が厚いので、冬はこれを使う。右は、ワークスホームの合成繊維の手袋400円くらい。軽くて感触がよく、滑らないし、指も動くので気にいっているが、半年で摩耗する。グローブはいつも持っているし、ジムニーには必ず1つ以上搭載している。自分の好きなグローブを見つけることは、オフロードのドライビングテクニックの向上につながります。また、クロカンで手や指を保護してくれます。グローブは大切ですよ。
紙のリサイクルへいく
5月15日初級オフロードスクール開催

5月15日初級オフロードスクールを開催。6名の参加がありました。

中休みのお茶の時間です。
ヒルクライムで失敗したときのリカバリーを、繰り返し練習しました。

ちょうどモンスター田嶋さんが来店されたので、皆さんと記念撮影です。いい機会をありがとう。

オフロードスクール終了後、ワイルドグースに帰る途中、参加車の一台にトラブルが発生。レスキューに戻ると、ラテラルロッドのボルトが脱落してました。応急処置をしてワイルドグースに帰り、正しい長さの強力ボルトにワツシャーとスプリングを入れて修理。下周りの点検をして、サスペンションの各部のボルトを増し締めしてみると、沢山のボルトが緩んでいました。
オーナーに聞くと、サスペンションを交換後,一度も増し締めしていないそうです。
下まわりや、ホイールナットを外したときは、必ず100km走行後に増し締め点検が必要です。
オフロードを走る人は、特に注意しましょう。オンロードなら、緩まなくても、オフロードを走ると緩みます。
熱海の花火を見に行く

5月14日傷岡航空協会の武田さんの招待で、伊東からヨットでクルージングして、熱海の港に係留して花火をみるというツアーに参加してきた。船をだします。

結構な風があり、波も多少ありました。

伊東沖には、2隻の自衛艦が停泊していました。1隻は、潜水艦救難艦で、私も観艦式で一度乗せてもらったことがある船でした。

もう1隻は掃海艇でした。船の外側は木でできています。木造船なんですね。これは掃海する機雷が磁気で反応して爆発するのを
防ぐためです。この小さな船で、海上自衛隊は何度も中東で掃海をしています。日本の掃海技術は、世界最高といわれており、アメリカ海軍から頼りにされています。

伊東から1時間半で、熱海に到着。係留します。

花火が始まるまでは、BBQで宴会です。厚木の名物『シロコロホルモン』持参、しましたよ。




熱海の港から見る花火。こんなに近いのは生まれて初めてでした。熱海の花火は見事でしたよ。