石川雄一氏逝く

4X4MAGの初代編集長で、CCVの発行人であったアイティーエフの石川雄一氏が4月22日に亡くなり、26日の入間の蓮華院で行われた、お通夜に行ってきた。65才であった。私は、1977年に発売された、4x4マガジンの一読者として石川氏と知り合った。いわゆる読者投稿である。それから石川氏に声をかけられ、『原稿』というものを書いた。そのとき初めてもらった『原稿料』のことは今も忘れない。それ以後、石川雄一氏のライフスタイルをまねて、ジムニーや四駆にこだわることになる。その当時は、私は海上自衛隊の隊員で、厚木の航空集団司令部にある原子力潜水艦の音響を解析する極秘の部署に勤務していた。もし、石川さんと逢っていなければ、たぶん、定年まで海上自衛隊に勤務しており、その後は羽田か成田の飛行場で警備の仕事でもしていたと思う。それが、石川さんに出会ったことで自分の考えが変わり、スズキに入り、エスクードを生み出すことになった。運命としか思えないことがたくさんある。スズキに入社したことで、JCJ(日本ジムニークラブ)がある。また、JCJがなければ、エスエスシー出版もないし、『ジムニースーパースージー』もない。また、RV4ワイルドグース(株)の設立もなかったと断言できる。お坊さんの読経の1時間20分色々なことを考えた。

この小冊子は、石川さんの娘さんの智子さんが制作したものだ。何度も読んだ。文章を書いたたり、まとめたりするセンスは、娘さんにも伝わったらしい。
石川雄一氏は、私の師匠であり、わずかしか年上でないのにさまざまなことを教えてもらった。その師匠を失ったことの悲しみは大きい。もう、石川さんとは、ご飯を食べたり、お酒を飲んだりはできない。
健康で、ちょっとお金があり、友人とお酒を飲んで語れることの幸せを思わずにはいられない。
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