忘年会
スズキハスラー
鈴鹿へいく
JCJ会議

来年のJCJのイベント『ジムニーカーニバル』の日程や、開催内容について浜松で会議をする。最近は、磐田市役所の意向やモンスタースポーツの田嶋さんのスケジュールがからみ、実はJCJ単独では決められないが、それはそれでいいと判断している。JCJが社会から求められているのだから、それに応えようという考えだ。

1982年からこうして皆が集まり、JCJの運営をしてきた。今日は、ダイハツがJCJのようなクラブを作りたいと、何度もJCJに意見を聞きにした昔話で盛り上がった。日産の4WDのクラブの話もでた。自発的にクラブができる車種はとても少ない。マツダのRX7の会『ロータリーロケット』や日産の『Z』クラブは有名だ。しかし、組織力では、JCJにかなうクラブは世界中に例が無いと思う。それほど、JCJは世界的に見ても異例なクラブである。
盛和塾横浜勉強会
レモンの収穫
厚木PX『迷彩ODコーナー』
米兵からコインをもらう

今日の朝、米兵が来店。お客さんかと思ったら、『厚木ベースにいきたいので道を教えてくれ』とのこと。『車か?』と聞くと、『そうだ』というので、グーグルの地図を出して説明してあげる。すると、あとで戻ってきてこのコインを置いていった。あとで調べてみると、パレスチナゲリラに殺された海軍軍人だった。
Robert StethemFrom Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation, search Robert Dean Stethem
Born (1961-11-17)November 17, 1961
Waterbury, Connecticut, U.S.
Died June 15, 1985(1985-06-15) (aged 23)
Beirut, Lebanon
Resting place Arlington National Cemetery
Arlington County, Virginia
Section 59, Grave 430 (38°52′41″N 77°03′57″W / 38.8780°N 77.0658°W / 38.8780; -77.0658)
Allegiance United States
Service/branch United States Navy
Years of service 1980–85
Rank
Master Chief Constructionman (CUCM)
Second-class diver (DV)
Unit Underwater Construction
Team ONE (UCT-ONE)
Awards Bronze Star
Purple Heart
Robert Dean Stethem (November 17, 1961 – June 15, 1985) was a United States Navy Seabee diver who was killed by Hezbollah militants during the hijacking of the commercial airliner he was aboard, TWA Flight 847.[1] At the time of his death, his Navy rating was Steelworker Second Class (SW2). He was posthumously promoted to Master Chief Constructionman

不思議なお話の一日だった。グーグルで見ることができます。
スタジオZEN10周年記念公演
オフロードスクール中級編

今日はオフロードスクールの中級編を実施。猿が島を走る。JA11Vの荻原さん、JA11Cの津田さん、JB23Wの岩瀬さん、前島さん、大野さんの5名だ。

今日はヒルクライムを3種類練習する。最後は、助走を少なくしたスティープヒルクライム。皆さん最初は登れませんでしたが、最後は全員登れました。アクセルをいかに短い時間で全開にする技術を学んでもらいました。

次は段差を超える練習です。テトラでタイヤの駆動をかける練習をします。正確なハンドリング、微妙なアクセルワーク、それにブレーキです。複合技ですね。

段差をこえる練習です。皆さん、良くできました。オフロードの深さ、これがモータースポーツであることが理解してもらえてことと思います。今日は、ガレバ走行、川渡りもしました。念入りなオフロードスクールでした。
SJ410Wで引っ越し

次女の七海が引っ越しをするので荷物運びの手伝いで渋谷の富ヶ谷にいく。SJ410Wにアート引っ越しセンターのダンボールが7個、大きなカバン3個を積載する。室内の高さが高いので、ダンボールなら3段から4段積載できるので、余裕である。自転車は、リヤのバスケットに載せて、タイダウンベルトで固定。念のためゴムネットをかける。これならタイダウンがもし走行中に外れても荷物は落ちない。このSJ410Wを日常に使っていると、車体はとてもコンパクトなのにとても荷物が積めることを感じる。自転車も積めるし、長いものも積める。もし、この車が1982年に登場していたら、ジムニーの歴史は変わったと思う。
スズキさん、まだ遅くないですよ!
スズキハスラー

スズキの新型車両『ハスラー』の勉強会参加のため、スズキ自販湘南の厚木店へいく。

ハスラーのすごいのは、ワゴンRと同じ空間を持っているが、なんと外径の大きな15インチタイヤを装着している。GCは180mmだ。また、4WDのシステムにはなんとエスクードで採用されていたESPがついている。それどころが、ヒルディセントコントールとグリップコントロールをいう新しいシステムが加わり、雪上などでの走行は、世界で一番安全に走行できる車両になったと思える。ノーマルのジムニーとこのハスラーをオフロードで走行させるとある部分までは、間違いなくハスラーが走る。ジムニーが走行で勝てるのは、極悪路でバンパーや車体が地面などと接触するような状況だけだろう。試乗させてもらいたい車両である。
友紀と麟太郎
父が亡くなりました
父、二階堂悌二郎が、2013年12月1日07:36海老名綜合病院にて85歳で亡くなりました。死因は、小脳出血でした。生前、お付き合いをくださった方にお礼申し上げます。多謝。
欧州の軍人のしきたりをマネして父の経歴を紹介します。
二階堂悌二郎は、
昭和2年(1927)12月23日 北海道札幌生まれ
昭和19年(1944)4月 海軍第14期甲種予科練習生(土浦)
昭和20年(1945)3月 震洋特別攻撃隊第11次練習生(川棚)
昭和20年6月 第132除隊震洋特別攻撃隊(土佐清水)
昭和25年6月 警察予備隊へ入隊 昭和27年(1950)陸上自衛隊へ
昭和52年(1977) 陸上自衛隊定年退職(2等陸佐) その後は、民間人として(株)東京かじの、週刊釣ニュース、(株)トーコー印刷、埼玉水産などで自由に勤務。JCJ(日本ジムニークラブ)の会報『スーパースージー』の編集製作を長く務めた。その後『ジムニースーパースージー』(発売:芸文社、発行:SSC出版)と発展し、1998年に市販化され現在にいたります。
二階堂清風の主な著書(ペンネームが清風でした)
『渓流おもしろ釣り読本』広剤堂、『ヤマメ物語』堯文社、『渓流大学』 島影社、『攻めの山女魚釣り』山海堂、『釣と魚のことわざ辞典』東京堂出版、『海の墓標』鳥影社
欧州の軍人のしきたりをマネして父の経歴を紹介します。
二階堂悌二郎は、
昭和2年(1927)12月23日 北海道札幌生まれ
昭和19年(1944)4月 海軍第14期甲種予科練習生(土浦)
昭和20年(1945)3月 震洋特別攻撃隊第11次練習生(川棚)
昭和20年6月 第132除隊震洋特別攻撃隊(土佐清水)
昭和25年6月 警察予備隊へ入隊 昭和27年(1950)陸上自衛隊へ
昭和52年(1977) 陸上自衛隊定年退職(2等陸佐) その後は、民間人として(株)東京かじの、週刊釣ニュース、(株)トーコー印刷、埼玉水産などで自由に勤務。JCJ(日本ジムニークラブ)の会報『スーパースージー』の編集製作を長く務めた。その後『ジムニースーパースージー』(発売:芸文社、発行:SSC出版)と発展し、1998年に市販化され現在にいたります。
二階堂清風の主な著書(ペンネームが清風でした)
『渓流おもしろ釣り読本』広剤堂、『ヤマメ物語』堯文社、『渓流大学』 島影社、『攻めの山女魚釣り』山海堂、『釣と魚のことわざ辞典』東京堂出版、『海の墓標』鳥影社