ワイルドグースの棚卸

今日は7月31日で、ワイルドグースの棚卸。20期が今日で終了する。明日から21期がはじまる。あっと言う間の20年だったなと思う。棚卸の日は、店は閉めているので、昼食はいつも皆で昼食に出かけることにしている。お店なので普段はなかなかできないからだ。しかし、食べるのではなく、評判がいい店とか話題性があるお店に行き、商売人として勉強するというのが目的です。ですから、ここでの会食は会社の費用として出費をしてます。

厚木のターズはインド人が経営している。厚木の富士通に沢山のインド人が働いているのだが、彼らが厚木周辺ではこのお店がインドの味に一番近いし、おいいしいというので今日はここでお昼。ナンがとてもおいしくて驚く。確かにいままで食べたナンではここが一番です。ご馳走様でした。厚木にはいい店ありますよ。
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風立ちぬ
宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見に行った。海老名の映画館はすごい人で、まず驚く。満員だ。ゼロ戦の設計者で有名な堀越二郎氏のことは、『ゼロ戦物語』等の本で知っていた。航空歴史上では、96式艦上戦闘機の方が有名だ。この飛行機は全金属性で、これで日本は世界に追い付いたからだ。大東亜戦争はゼロ戦抜きには考えられない。よく、アメリカに対して勝てない戦争だったのに戦争を始めたのは無謀だと言う人がいる。それを言うなら、日清戦争やロシアとの戦争の方が、よほど不利であり、日露戦争などどうみても勝てるわけがないという戦争だったが日本が勝ってしまった。大東亜戦争は、外交の手段がつきての戦争だったとおもう。戦争は外交の一手段である。短期戦で戦争を終息できるならば、大東亜戦争は決して無謀ではなかったと思うのである。しかし、収束できなかったという大きな失敗がある。
昭和16年当時、日本海軍は世界最強であった。戦艦は世界一の性能を誇り、世界最大の大型潜水艦隊を保有し、世界に類例を見ない空母艦隊を持ち、数百機の艦上戦闘機、攻撃機を保有していた。そのパイロットの錬度は世界一。だからアメリカでさえ、日本への攻撃準備に2年もの期間を要したのだが、このようなことはあまり認識されていないという不思議さがある。それを支えたのが、堀越次郎氏をはじめとする技術者がいたことである。富国強兵、技術立国、日本が貧しいアジアの国の中で唯一欧米の植民地にならず、独立していけた理由がこの映画の中に描かれている。
堀越二朗氏と奥様の物語が美しく描かれている。観客は女性が多くて驚く。ゼロ戦の映画ではないように仕上がっている。映画が終わり、暫く誰も立ち上がらず、泣いている人も多かった。貧しかった日本が、世界に出ていく気概のようなものを感じられるすばらしい映画でした。
飛行機で世界に出るという日本、堀越二郎氏の思い。仕事に打ち込む姿は素晴らしいです。私が海上自衛隊に入隊したころは、堀越二郎氏は防衛大学の教授をしており、仲間意識のようなものも感じます。調べたら、1982年に78歳で亡くなられていました。私が、自衛隊を退官して鈴木自動車に入社した年でした。
昭和16年当時、日本海軍は世界最強であった。戦艦は世界一の性能を誇り、世界最大の大型潜水艦隊を保有し、世界に類例を見ない空母艦隊を持ち、数百機の艦上戦闘機、攻撃機を保有していた。そのパイロットの錬度は世界一。だからアメリカでさえ、日本への攻撃準備に2年もの期間を要したのだが、このようなことはあまり認識されていないという不思議さがある。それを支えたのが、堀越次郎氏をはじめとする技術者がいたことである。富国強兵、技術立国、日本が貧しいアジアの国の中で唯一欧米の植民地にならず、独立していけた理由がこの映画の中に描かれている。
堀越二朗氏と奥様の物語が美しく描かれている。観客は女性が多くて驚く。ゼロ戦の映画ではないように仕上がっている。映画が終わり、暫く誰も立ち上がらず、泣いている人も多かった。貧しかった日本が、世界に出ていく気概のようなものを感じられるすばらしい映画でした。
飛行機で世界に出るという日本、堀越二郎氏の思い。仕事に打ち込む姿は素晴らしいです。私が海上自衛隊に入隊したころは、堀越二郎氏は防衛大学の教授をしており、仲間意識のようなものも感じます。調べたら、1982年に78歳で亡くなられていました。私が、自衛隊を退官して鈴木自動車に入社した年でした。
静岡美術館
1/43スケールミニチュアカー『スズキエスクード』
静岡市へいく
ジムニーライフ
JB23Wウインチング
伊勢原市へ『ドクトルパンダとジム太』を寄贈する
盛和塾世界大会
E-Z DEFLATOR
ARBのコンプレッサーキット
伊勢原の田園風景
SJ30マフラー交換
ファイバーローププロテクター
ジムニースーパースージー77号
ウインチ取り付け
エンジンスプラッシュガード

JB23Wになってからエンジンスプラッシュガードが無くなった。実は、ジムニーはJA22Wまでエンジンスプラッシュガードという部品が、標準で全車についていた。それが、JB23から省略されたのである。調べてみたが、どうも理由がはっきりしない。しかし、ジムニーが歴代商用設計グループで設計されてきたが、それがJB23から乗用設計グループになったのが一つの原因らしい。乗用車には、エンジンスプラッシュガードはないので、省略されてコストダウンされたようだ。
しかし、ちょっとオフロード走行をするとエンジンルームが汚れる。スズキのジムニーの設計者であった人に聞くと、エンジンスプラッシュガードがないとベルトの寿命は半分になるそうだ。つまり通常7万km走行くらいもつのが3.5万kmになるのだ。だから、エンジンスプラッシュガードは大切と、現在試作中。テストを走行をしてみて、OKならそろそろ量産する予定。色は、試作パーツの白でなく黄色にしようと思っている。
橋詰希望君をしのぶ会
北海道立旭川北高23期の同級生だった橋詰希望君をしのぶ会が7月5日新横浜のグレースホテルであり参加してきた。突然の訃報で驚いた。不思議な縁で、希望君は株式会社三宝という会社の営業部長だったが、社長の藤塚さんは、盛和塾横浜で同じ塾生同士で知り合いだ。希望君は私と同じ年齢なので59歳。同級生が12名くらいきたと思う。毎日くいなきように生きていかないといけないと思いを新たにした。人生の目標はまだあるし、完成させたい仕事もいくつかある。油断すると現世から、来世に行ってしまう。希望君、次でまた会えるかな?合掌。ご冥福をお祈りします。