冬眠から目覚めた亀
SJ410W前後バンパー交換
クッキーの自動販売機
ジムニーファン4月25日発売

SSC出版では、ジムニースーパースージーを1998年から発行している。現在も、ジムニーだけは好調だ。2005年にジムニーファンのVOL3を出してから長く発行していなかった。ネタは沢山あるが、マンパワーの問題で出せない状態が続いたためだ。最近、ジムニースーパースージーの販売が好調で、人の余裕ができたので、4月25日発売することになった。久しぶりの発行となる。お楽しみに。
付録がつく。SJ30からJA11までに使用されたJiMNYのエンブレムキーホルダーだ。中国製ではありません。新潟燕三条の日本製です。品質が違います。これで、ジムニーのエンブレム、LJ10、SJ30、JB23と全部の種類のエンブレムのキイホルダーがそろった。ジムニーマニアなら、この価値がわかるでしょう?
サーフハイリフト
アウターロールゲージ

ワイルドグースのアウターロールゲージは、元々は、クロカンで横転した時に、フロントウインドウを保護するという目的で造った。JB23は、フロントの上部がとても弱くて、ここがつぶれる。つぶれると、人に危ないし、修理も難しくなる。
しかし、アウターロールゲージは荷物の積載も出来るのだ。これは、友人の山小屋の薪にするためにパレットを積んだところ。傷がつかないように毛布を敷いた。大型の重量物をこうした工夫で小さいジムニーでも運べる。

荷物を固定する場合は、必ずラチェットタイダウンを3本以上使う事。3本あれば、緩んでも、すぐに荷崩れにはならない。2本では危ない。オンロードでは緩みにくいが、オフロードだと100%緩みます。必ず増し締めるすること。
JB23Wのウインチ

次のスーパースージーの記事のための撮影を山北で実施。天気がよいので、とても清々しい気持ちで撮影ができる。JB23Wで如何にウインチを使うかという内容だ。JB23でウインチを搭載している人はとても少ない。しかし、JA11より、JB23は重いのだからウインチはあってもいいと思う。

ウインチは、4輪駆動のプラス1の駆動である。自走では行けないところもいけるのだ。

また、これはあまり知られていないが、路面にやさしい。地形に大きなダケージを与えない。ウインチは自分よりも、人を助けることに役に立つことが多い。4駆やジムニーに乗るなら、ウインチは装着すべきものだと思う。ウインチがあることが、他の車と違い、圧倒的なアドバンテイジを持つことになるからだ。

撮影の合間に富士を見ると、今日は裾野で野焼きらしい。自衛隊の演習場から、沢山の煙が見える。煙は、小田原城までたなびく。

帰りは、246号を帰ると、松田町で『さくら祭り』をしている。かなりな人だ。ここのは、河津桜と呼ばれていて、開花が早い。黄色い色は、菜の花です。

松田町では、本日は桜が満開でした。
JA11Cの電気のトラブル

JA11Cのインジェクターのヒューズが何度もとぶ。原因を調べてもなかなかわからない。特にこれといったものが見つけられないのだ。ある日、水の中を走行したら一発でヒューズが切れる。繰り返しだ。濡れている間はダメというのがわかった。

そこで、インテークマニホールドとエンジンルームのファイヤーウール(赤い線)、ラジエーター(赤い線)、右側のフェンダー(黒い線)の3か所にアースのための配線を作り、アーシングした。アースの追加すだ。エンジンと左右のボディー、それにラジエーターはフレームから固定されているので、フレームとのアースの追加になる訳だ。
だったこれだけなのだが、以後はヒューズは飛ばなくなった。古い車には、こういうことが良くある。この処置後1年が経過するが、トラブルの再発は無くなった。
ジムニーワイパー修理

ワイパーが動かないので修理をする。SJ30からJA11まで、ワイパーの構造は同じだ。長く乗ると、ジムニーはこのワイパーの取り付け部が割れる。これは、SJ410Wのものだが,JA11と同じだ。ワコーズのラスペネをスプレーして一日置いて、錆を溶かす。安物のCRC556とかではだめだ。本当ですよ。

めでたくワイパーのナットが緩む。半分くらいは錆でナット固着して緩まず、ワイパーリンクの交換になることがおおい。

穴が大きいので、まずは錆止めのためスプレーでワイパーの元のボディーを塗装する。

スプレーが乾燥したら、『ワイパー修理プレート』を当ててみる。

プレートの4か所にドリルで穴を開ける。

シリコンシーラントとリベッターを用意する。

ワイパーの元へシリコンシーラントを入れて、穴をふさぐ。これをしないと雨が室内に入ってくるからだ。

『ワイパー補修プレート』をリベットで止める。これは、穴さえ合っていれば簡単な作業だ。

リベットで固定すると、シリコンシーラントがはみ出すので、ウエスできれいにふき取る。

ラスペネや飛び散ったシリコンなどを掃除して作業は完了。

これで、雨が降っても大丈夫。ワイパーは動くようになりました。
4X4MAGAZINEの切手
横浜元町
桜咲く
盛和塾横浜勉強会
相模川のゴミ拾い

今日は、相模川の猿が島でゴミ拾いだった。公式には、雨が強いのでホームページでは中止と発表した。でも、ジムニー、四駆の人は来ると思うので9時30分頃現地へ行く。やはり、十数台がいるので、来た人たちでゴミを集める。合羽と長靴は皆持っているので、雨はあまり関係ないのである。

今日のゴミ拾いの結果である。すごい量である。

ゴミの中に捨てられた子犬を見つけてしまった。もちろん死んでいる。そのまま放置できずに、埋葬する。合掌。

どうして、タイヤのドーナッツと思ったら、知っている人がいて教えてもらう。ホイールは金属なのでお金になるため、カッターでタイヤを切断。残りのゴムをこうして違法に捨てに来るのだという。困った人たちがいる。
情けは人のためならずというが、このゴミ拾いも同じだと、私は思っている。めぐりめぐって、我々に得をもたらすと思う。
インドのジムニー
盛和塾横浜の輪読会
寺崎勉『野宿ライダー田舎に暮らす』発売
浜松城
消防署のオフロードバイク
M151A1

ベトナム戦争当時、1960年代後半に登場したアメリカ軍のM151A1である。私も一時あこがれて、M151A1とA2の2台も、所有したことがある。ところがジープを超えていない。走破性も低いし、すぐに壊れる。サスペンションの欠陥により、カーブで横転する。モノコックボディーで多少は軽量だったが、修理がきかない。凹むとすぐに全損あつかい。使い捨てという車両だった。海兵隊は、M422マイティーマイトを使ったが、ジムニーより小さい1600ccのポルシェエンジン搭載車だったが、これも大した車両でなかった。
たぶん、ベトナム戦争で一番優れた活躍できたのは、ジムニーだと思う。ジムニーに軍用車としての機能を付加させれば、いまでも世界最高性能の軍用車両になるだろうと思う。単純な構造、軽量な車体、信頼性のある日本製のパーツ。どれも、非の打ち所がない。これを考えると、やはり1940年で、4輪駆動車の進化は止まったのだとも思う。
天竜川の看板
MRSのジムニー用バンパー新製品
働くジムニー
2012年3月17日 相模川一斉清掃
磐田市役所のジムニー
日本4x4トライアル協会
お茶の水にて『稲盛塾経営体験発表会』
1940年という時代
1940年という時代を考える。第二次世界大戦だ。

キューベルワーゲンの左に搭載されているのは、MG34機関銃の本物だ。ただし、銃身には鉄が入っている。第二次世界大戦のときのドイツ陸軍の機関銃で、その当時世界最高性能と言われたものだ。この機関銃は、戦後西ドイツ陸軍で、改良されMG42となった。今は、NATO軍で使われている。米軍は、このMG42をコピーして、M60という機関銃として使っている。それが、現在2012年も続いている。つまり、機関銃という兵器は、1940年あたりで技術が止まったのである。
4輪駆動車はどうだ?と考えると、1940年にジープが完成して、世界中に多くのジープを模倣したものができた。ジープは機関銃と同じく兵器である。ジムニーはまさにそうである。ジープミニだから、ジムニーと命名された。ジムニーは1970年の登場から、今日まで外観は違うが、中身は同じだ。
不整地を走る、けん引する、運ぶという3つの機能を比べると、進化したのは軽くなったジムニーくらいか?と思う。すると、ジープの思想をもった車両も1940年から、2012年の今日まで進歩が止まっていることに気が付く。現在は、内燃機関が、モーターに変わりだしたりしているが、自動車というものは変化していない。新しい思想の車、革新は出来ないのだろうか?と思うのである。

キューベルワーゲンの左に搭載されているのは、MG34機関銃の本物だ。ただし、銃身には鉄が入っている。第二次世界大戦のときのドイツ陸軍の機関銃で、その当時世界最高性能と言われたものだ。この機関銃は、戦後西ドイツ陸軍で、改良されMG42となった。今は、NATO軍で使われている。米軍は、このMG42をコピーして、M60という機関銃として使っている。それが、現在2012年も続いている。つまり、機関銃という兵器は、1940年あたりで技術が止まったのである。
4輪駆動車はどうだ?と考えると、1940年にジープが完成して、世界中に多くのジープを模倣したものができた。ジープは機関銃と同じく兵器である。ジムニーはまさにそうである。ジープミニだから、ジムニーと命名された。ジムニーは1970年の登場から、今日まで外観は違うが、中身は同じだ。
不整地を走る、けん引する、運ぶという3つの機能を比べると、進化したのは軽くなったジムニーくらいか?と思う。すると、ジープの思想をもった車両も1940年から、2012年の今日まで進歩が止まっていることに気が付く。現在は、内燃機関が、モーターに変わりだしたりしているが、自動車というものは変化していない。新しい思想の車、革新は出来ないのだろうか?と思うのである。